「ツインレイ」という言葉に出会った人、すでにパートナーと出会っている人は、この存在をどのように感じているだろうか。
ツインレイにはいくつもの段階があると言われているが、今の私は「ツインレイとは、自分の鏡であり、もう一人の自分」だと考えている。
かつて、ツインレイと出会ったコミュニティで「ツインレイは魂の究極の学びの相手」と言われたことがある。それは、今も私の中で真実だと感じている。
私自身、最初は知識もなく、さらに年齢差が大きかったこともあり、ツインレイをどう捉えていいのか分からなかった。
人間的な視点で考えれば、「魂の学びの相手」と言われても、「は?」となるのも無理はない。
でも、あの頃の混乱や葛藤は、今振り返れば、まだ 土の中にいた種 だった。

相手と現実世界で離れて初めて、やっと 小さな芽が土から顔を出し、地上の厳しい自然にさらされること になった。
周りに助けてくれる仲間もいない、こんな荒野に芽が出ても、生き残れるわけがない、という環境で何度も枯れそうになり、腐りそうになりながらも、必死に土の養分や水分を取り入れ、生き残ってきた。
細い茎のまま成長を続ける中で、強風が吹きつけ、土ごと持っていかれそうになったこともあった。
やっとの思いで緑の葉を生やしても、重い雪や雹に打たれ、ちぎれてしまうことも何度もあった。
それでも、太陽は変わらず 無条件に照らし続けてくれていた。
どうしたらしなやかに葉を広げられるのか? どうすれば嵐が来ても折れない茎になれるのか?
太陽と自然の力を借りながら、試行錯誤を繰り返していく。
そして、ようやく 花の蕾をつけられるまでになった と思った瞬間、異常気象が訪れ、蕾は枯れてしまう。
——それでも、信じている。
どこかに もう一つの種 から芽が出て、私と同じように風雨に耐えながら、育っているはずだと。
だから、完全に枯れることはない。

やっと花を咲かせ、太陽の光をいっぱいに浴びた時、初めて誰かの目に留まる。
でも、花が咲くまでは、苦しい道のり。
どんな花が咲くのか、自分でも分からない。
どんな色なのか、どんな形なのか、どんな香りを放つのか——
それは、咲いて初めて分かるもの。
きっと、想像していたものとは違う花になる。
でも、それが 本当の自分 なのだ。
種の段階では、どんな花になるかは決まっている。
けれど、咲いてみなければ、その姿を知ることはできない。
だからこそ、芽が出てから蕾になるまでの過程を生き抜くことが大切。
辛い試練を乗り越えていくその旅路が、魂の成長そのものだから。
ツインレイの学びの中で、5年前私はこう言われた。
「ツインレイの女性性は、すべてを受け入れなければならない。」
この言葉の意味を、私はずっと探してきた。
それを ポイント制 に例えるなら、10000ポイント中、1つの段階を超えるごとに1ポイントずつ溜まっていくようなものかもしれない。
・ 芽が出たとき、1ポイント
・ 葉が1枚開いたとき、1ポイント
・ 葉が落ちてしまったときも、1ポイント
・ そして、新たに葉を出せたとき、また1ポイント
決して2ポイントはくれない。
ポイントが溜まっている実感がないまま朝になり、また夜になる。
どんな経験も無駄にはならず、すべてが 土の養分 となって蓄積されていく。
水と養分を含んだ土と太陽の光を頼りに、厳しい自然に耐えながら、少しずつ魂は育っていく。
「すべてを受け入れる」 とは、鏡として映し出されるもう一人の自分を通して、何を学び、何を吸収するのか——
それによって、花は養分を吸い上げ、やがて どんな実を結ぶのか が決まっていく。
実らないこともあるかもしれない。
けれど、大きな実をつけることもある。
どんな形であれ、一つの種が地上に芽を出し、厳しい自然の中で 花を咲かせることができたのなら——
あとは、その花がどのように広がっていくのかは自分がコントロールすることなく、流れに任せればいい。
