嫌いな人と円満に離れられる方法~優柔不断な人  編~

あなたの近くにいる人で、「なんでこんなに優柔不断なんだろう」と思うような人はいませんか?
言うことが相手によって違ったり、昨日と今日では言うことが違う、なんなら嘘ついてる?と思うような人が周りにいる、という人に向けて、どうして自分の周りにこういう人が現れているのか、を無意識領域の観点からお伝えしていきます。

目次

優柔不断な上司への怒り

以前私が働いていた会社に、一言で言うと「頼りない」と思うような上司がいました。
その人の指示の元仕事を進めるのですが、ある時、部下によって指示する内容が違っていることに気づきました。
複数で進めている案件なので、同僚と「こう言われた」などと話していると、「いや、私はこう言われた」と、噛み合わなくなったことで気づきました。
言った言わないの話になってくるのですが、私が上司から聞いた通りに進めようと思い、言われた通りに進めていると、当の上司が来て、同僚が聞いたことが正しい理解、と言って、私の聞いたはずの進め方ではない、と言われたのです。
この時私は、「2人一緒にいる時に指示すればいいのに!」「私にはなんで間違ったことを言うの!」と思いました。

怒りを沸かせた上司が現れた意味

上司が他の同僚に言った通りに仕事は進めることになりましたが、私の聞いたことが否定された、とか、間違って理解してたのかな、なども思いながらモヤモヤして、最終的には上司に対しての怒りに行きつく毎日を過ごした会社でした。
同僚と私に言ったことは違っていたちう事実があるのですが、「なぜ2人に違うことを言う上司が私の目の前に現れたのか」として見ていきます。
違うことを言う上司が悪い!ではないのです。
起こる出来事には理由があります。その理由を突き詰めていくと、無意識領域にある感情を呼び起こすため、それを浄化するためだった、と分かっていきます。

美安

まず①をやったら次は②って言いましたよね?

いや、①のあとに③をやって、それから②だよ

美安

昨日は①のあとは②と聞いたのですが

いや、言ってないよ、聞き間違いじゃない?

美安

・・・

その時のやり取りは、こんな感じでした。

自分は正しい、という概念

私は、過去に違う会社で似たような仕事をしていたことがありました。
①のあとは②、というのが過去の会社での「正しい手順」になっていたので、この会社でも同じ、と思い込んでいたのです。
上司から仕事の内容を聞いた時に、過去に①のあと②の手順でやったことが記憶の奥から出てきて、上司の言うことをあまり聞かずに先回りして「これのあとはこれね」という予測の元に「①のあとは②が正しい」となっていたのです。
私は、「自分の思ったことが正しい」という癖がとても強かったのです。
なので、自分が「正しい」と思い込んでいることを否定されたりすると、とても強い感情を感じていたので、この時も、「①のあと②って言いましたよね?」と言った時は、上司に対して怒りしかなかったのです。
自分の思っていたことと違うことを言ってきたわけですから。

正しい、間違い、は自分だけの概念

自分が正しいと思っていたことが上司の指示とは違っていたのを知った時は、何とも言えない怒りと、恥ずかしさを感じたのを覚えています。
正しい、間違い、と決めつけていることが多すぎて、「こうするのが正しい」「これは違う」ということが幼少期からたくさんありました
なぜ正しいとか間違いの概念が強くなったかというと、私の場合は幼少期と過去生に原因がありました。過去生については今回は省きます。

インナーチャイルドが概念を形成する

小学校低学年くらいまでに親兄弟や学校の先生など、人間関係から出来た心の傷をインナーチャイルドと言います。
私は親の言ったことが全て正しい、と思い込んでいました。
といっても、生まれてから一番近くにいる存在である「家族から聞いたこと」は無意識領域の深いところまで刺激し、人間としての概念を形成します。
親の教えが「学校なんて行かなくて良いんだ」と軽く言ったとして、それを学校の先生に親から言われた、と言った時、学校の先生は「学校には来ないとダメだよ」と言うとします。
親の言ったことと先生の言ったことが乖離しているので、幼少期の子供は混乱します。そして、何が正解、正しいのかを自分の中で探します。
出した答えは、「余計なことは言うのはやめよう」となったりします。

親の言葉からの解放

親の言うことは学校の先生や他の人に言うと否定される、であれば誰にも言わなくて良い、自分の中で「正しい答えを作ればいい」、と一生懸命考えた幼少期でした。
幼少期は、何が正しいのかを知りたい、と考えたり、好奇心もあったと思います。周りの意見を聞くこともあるし、世の中では、世間一般では何が正しいのかを知りたい、と思ったこともありました。
親から聞く事が正しいと幼少期に思い込んでいる人が大多数ですが、それが「なんか違うな」と違和感を感じて自分の答えとして自分の道を進む人が増えてきています。

自己肯定と他者受容は正しさからの解放

自分の思ったことが正しい、の概念を外していくのは大変な作業でした。
上司と同僚の仕事の進め方の例はあくまでも一例でしたが、正しい、間違いと決めつけていることがとても多いことを気づかせられる出来事でした。
自分が正しい、と思っていると、他の人の意見を受け入れることが出来ないのと、否定された時の感情を持ち続けるので、今回の例のように、「それ違うよ」と言われることが続いたりもします。
違うよ、と言われるということは、「正しい、と思ってる概念外しなよ」と言われている、とも捉えられます。
今回は、周りに人がいるのに否定してきた上司に感じた怒りや恥ずかしさ、や、自分が正しい、と思っていたことが違ったという悔しさ、などを浄化していきました。

他の誰かの「正しい」概念からの解放

自分を受け入れるためには、自分が正しい、と思うことは必須になります。
幼少期に親からの教えによって、「親の思う正しい」が「自分の正しい」、になっていることに気づいて、自分の正しい、というのが、誰かの教えによってではなく、本来の自分が自由に感じて答えを見つけていけば良いのです。
そこに、「正しい」は必要ないのです。
優柔不断な上司、と見えていた人が現れた意味は、私の中にある、何が正しいのか、と答えを探すために、本当の自分の答えではなく、過去の誰かの言ったことを正解としていた私の概念、癖を教えてくれるためでした。

優柔不断な人がいなくなったり、自分は正しい、
と感じなくなった未来

以前、「〇〇って思うことは正しいですか?」とか、「〇〇しようと思うのは正しいですか?」「それって間違ってますよね?」と私に答えを求めてくるクライアントさん人がいました。
その人は自分で感情を浄化できる術を学んで、正しいとか間違い、という概念が減り、正しい、正しくない、など考えないようになりました。
これが正しい、と思っている人は、正しい中で生きていこうとしているとも言えるので、正しい道を進むために、自由に動けなかったり、誰かの枠に入って生きている人もいます。
本当は自分の中に進みたい道があるのに、周りからは受け入れられないかもしれない、と思う人は、周りの「正しい」から解放されて、自分のやりたいことに進んで欲しいと思います。
もう「誰かの正しい」の枠で生きるのはやめませんか?

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