優しい、ってどんな人だろう、とふと浮かんだ。

優しい、という言葉からの印象は人によって様々で、例えば、
自分の人生これからどうなる?みたいな、分からないことや知りたいこと、気になることを誰かに聞くとする。
聞いた相手(占い師などを含む)がすぐに答えを教えてくれる場合もあれば、相手によってはそうじゃない場合もある。
ほとんどの人は、答えをすぐにくれる人を「優しい」と捉えると思う。
誰かから答えを教えてもらったら、それが質問者のその時に欲しい「答え」になる。
でも果たして、それが本当に質問者にとって欲しい「答え」なのか?
というと、そうじゃないことが多い気がする。
その場で疑問から解放されたいから他者に質問する。
答えをもらって、ちょっとスッキリする。
でもしばらく経つと、
「あの時言われたことって本当にそうなのか?」
ときっと疑問が湧いてくる。
そうなった時、改めて誰かに聞くのか、自分で考え抜いて答えを導くのか。
その選択を繰り返しながら進んでいくことになる。
誰かの言った「答え」が、自分の中にある本当の答えとは限らない。
人に聞けば一時的にスッキリするけれど、進む中で「答え」は変わっていくこともある。
魂が成長すれば、進み具合やタイミングで必要な答えは変わってくる。
人からもらった答えが正解、ではなく、自分の中から絞り出したものこそ、その時の答えなんだと思う。
最初に書いた、答えをくれなかった人。
その人を「冷たい」と思うかもしれない。
でも、答えをくれなかった人は本当に冷たいのか?
冷たいってなんだろう?
答えを出さなかったことで、質問者が自分で考えるように促してくれた。
それはそういうことなんだと思う。
全ては受け取り方。
知りたい答えを誰かからもらって「自分の答え」にしていく人は、また何度も色んな人に繰り返し聞いては、その時々の「自分の答え」をもらう。
何度も色んな人に聞くということは、答えが違う、と感じるからだろう。
一方で「答えをくれなかった人」に出会った人は、自分の中から答えを絞り出す意識が湧く。
誰に質問するか、誰を引き寄せるかは、未来の自分が決めている。
「答えは誰かの言葉の中にはない」と教えてくれるのは、聞いても教えてくれなかった「冷たい人」の深い優しさと愛なんだと思う。
本当の答えを、自分で選ばせてくれるわけだから。
そういえば、神様も答えを簡単には教えてくれない。
ヒントやサインはくれるけれど、本当に欲しい答え、真実はすぐには分からないような言葉を投げかけてくる。
それは、自分の中にしかない答えを導き出すための最短の道を知っているからで、人として生きる特権でもある。
考えながら、躓きながら進む姿を見て、その時に必要な言葉を受け取らせてくれる。
だから、本当に欲しい「真実の答え」はすぐにはやってこない。
何年後、何十年後にやっと得られる事も多い。
自分の中にしかない答えを、周りに聞きながら導くのか、自分で考えて絞り出すのかは人それぞれ。
優しいってなんだろう?と疑問が浮かんだとき、冷たいと思われがちな言動をする人は、実は深い気づきを与えるためにいてくれるんだ、と気づいた。
優しい、冷たい、なんてのも結局は人が勝手に感じる印象。
深いところを見ていけば、優しい、と感じるか冷たいと感じるか、それも自分の思い込みによってどう受け取るかだけの違い。
ただ「聞かれたから教えた」と、「聞かれたけど教えなかった」だけで、そういう人を引き寄せたのも自分。
選択して起こったことから、あとは自分がどうしていくか。
その選択を日々しているわけで、そういう視点で見てみると人間って面白い。