自分が変わることは意外と簡単~生きる喜び~

私たちは何のために生きているのか、を、私なりの言葉でまとめてみました。
この記事にたどり着いていただいた方は、心のどこかに記事の内容に同意できたり、自分にもそういうところがある、と共感できる方なのではないでしょうか。
少し漠然とした内容にはなりますが、潜在意識の観点から深い深層心理をお話しようと思います。

目次

魂が未知の“喜び”を感じるため

私が思うのは、「未知の喜びを感じること」、それが魂が今世で感じたいと願っていることの1つだと思います。

自分が何かを見たり、浮かんだことを想像して「こうなったら良いな」「こうなりたいな」と思った時、それが実現したらどうなるのか、その時にどう思うのかをイメージしようとしても、「分からない」とビジョンが浮かばないなら、それはきっと魂の学びです。

イメージできることは達成できます。
逆にイメージできないことは、まだ体験したことがないから、自分ではどう感じるか分からないのです。そのため、それを体験したときに初めて感じる感情は、未知の喜びであり、その時の最上級の喜びを感じる事になるのだと思います。

その喜びを感じるために、もしくはそうなるために、達成したいことによってはコツコツ努力を続けることも必要かもしれません。
でも、「どうしても達成したい」と腹の底から感じるのであれば、それはいつか現実として必ず実を結び、「こんな喜びがあったのか」と感じる日が来ます。

誰かのために、は自己犠牲によって生まれる思考

元受講生の中に、「誰かのために何かをしたい」という思いが強い方が何人かいらっしゃいました。
誰かのためのエネルギーは大きな力を発揮します。しかし、「どうして誰かのために、と思うのか?」と質問すると、その答えははっきり本人も応えられないのです。

その方の潜在意識には、過去生も含めて自分を置き去りにしていた過去がありました。いわゆる自己犠牲です。
誰かを幸せにすることで、どこかに感じていた「罪悪感」を昇華しようとしていることが分かったのです。その方は、「自分が悪い」と思う傾向もとても強く、常に誰かの反応を気にしている、いわゆる「周りに目が向いている」状態になっていることに気づいていませんでした。
そして、思考の癖として、「これは正しいのか、間違っているのか」「良いか悪いか」を判断して行動していた、と言います。講座の初めの方では「これは悪いことですか?」というような質問をよくしてきました。

その方は、まだ幼少期のころに両親が離婚し、父と一緒に暮らすようになってからは母替わりとして下の弟たちの面倒を見ざるを得ず、自分のやりたいことは何もできず、「家事をしなきゃいけない」「面倒を見なきゃいけない」という思いで幼少期から高校生までを過ごしていたんですね。

やりたくないことをやっているエネルギーは相手に伝わっている

「誰かを幸せにすることに喜びを感じる」と思っている人の中には、その行為(家事や人に尽くす事)によって自分の中の何かを満たそうという感覚を感じています。しかしそれは、義務的になっていることが多く、「やりたくないけどやらなきゃいけない」という思いをたくさん持っています。

誰もが、やりたくないことはあると思います。私もそうでした。でも、やりたくないことを渋々やっていても、誰からも認められなかったりしませんか?
やりたくないことをやっている時は、「やってあげた」人からの「感謝の言葉」で自分を満たす段階を踏んでいるのです。

やりたくないことをやっている時は、「いやだなぁ」「やりたくないな」などと思いながらやっていると思うんですね。そう思いながら誰かのためにやっていても、その誰かからは感謝の言葉はないと思います。

「やりたくない」を手放す

自分が喜ぶことをまず自分自身で体験できると、その喜びのエネルギーに人は自然と引き寄せられます。

やりたいことは大きいものから小さいものまで様々ですが、達成した時の喜びはその人にしか分からない感情です。喜びを積み重ねることで、新たな自分の扉が開く未来が待っています。
例えば、やりたくないと思っていたことを「やりたくない」と言えた時、自分の中では達成できたこと、と捉えて良いと思います。

ただそれを言えない、という方がとても多く、なぜなら「もしやらなかった場合」を無意識のところで考え始め、誰かに怒られたりして嫌な思いをするから「自分がやるしかない」と思い込んでいるからです。

「できない」を手放す

やりたいことに限らず、「できない」と思い込んでいたことをできるようにすることも同じです。
例えば、子供の頃から怒られるのが当たり前になっていた人にとっては、例え怒りを感じても、誰かに対して怒ることができない場合があります。
それでも、誰かに怒りを表現できた時、「ずっと怒れなかったけど怒れた」という結果となって、ずっと溜めていた感情を解放することができるのです。

これは単に怒りをぶつければ良いということではなく、ずっと怒りを表現できなかった人が、誰かの言葉や出来事によって怒りを表に出せるようになった瞬間です。

一方、怒りをぶつけられた側の役割はそこで終わります。その後の関係性は、怒りが持つエネルギーが切れたことで接点がなくなったり、逆に仲良くなったりすることもあります。軽い波動で付き合える、というイメージですね。

「怒ってはいけない」という思いから、本心とは逆に怒りを閉じ込めている人は意外と多く、気づいていない場合もあります。
「関係性をうまく続けなきゃいけない」、と思うことから、自分では気づいていなかった怒りの感情を我慢していると、潜在意識から少しずつ怒りの解放を求めて、別の場面で怒りを爆発させるような人が現れることもあります。

怒ることができない時、潜在意識から恐怖が顔を出している場合がとても多く、怒られること、怒ること、両方に恐怖を感じていたり、また、悲しみも多く抱えている方もたくさんいらっしゃいます。

潜在意識にはこれらの感情がたくさん溜まっていて、徐々に解放させるように宇宙の働きかけで色んな人を動かし、今、感情の浄化を促されている方が増えています。

目の前の人はわき役

潜在意識の観点から「怒られた側」はどう感じるかというと、上記のように「ずっと怒れなかった人に怒ることを許可する」役割を果たしてくれたことになります。
そのため、相手が自分の怒りを表現できるようになったら、怒った側の「怒りのエネルギー」はなくなるため、もう怒らせる必要がなくなり、自然と距離が離れたり、逆に仲良くなったりすることがあります
怒りの感情が抜けていくと、面白い現実が起こることが多々あるんですよね。

周りにいる人で自分の感情を動かしてくる人は、主役である自分から見るとわき役です。
深く関わる人もいれば、一瞬で去っていく人もいます。すれ違うだけの人もいます。
近くにいる時間が長ければ長いほど、わき役を担ってくれているその人から受ける学びは大きく、多くの場合は「許す」学びにつながっていると感じます。

許す学びがもたらす未知の喜び

「許すこと」は愛のエネルギーに直結します。
もし誰かを許せるようになったとき、魂から優しい形でたくさんの涙と愛が湧き上がってくると思います。

多分一生恨むだろう、と思っていた人がいたとして、その人を恨んだとしたら、それは自分に返ってきます。そういう人がいるなら、自分に「許すことから感じる喜び」を体験させてくれる、とても貴重な存在なのです。

どう考えても許せない!あの人が悪いんだから!と思っていた人を許せるようになった時、その後に感じる感情は未知の喜びです。
もし多くの人がこれを体験できたら、この世の中はもっと柔らかいエネルギーで満たされるでしょう。

自分が変われば良いだけ

正しい、悪い、間違ってる、などの思いは、それぞれ育った環境や教育が作った自分の価値観であり概念です。
なので、それを1つにすることは不可能ですね。相手の価値観を自分の価値観に合わせようとすることは相手を変えようとすることになり、それは出来ないですよね。

例えば、「ちゃんと片づけてよ!」と何回も言って相手を動かそうとしていませんか?何回言っても片づけないから相手を怒れば、その都度片づけるかもしれません。でも、また同じことが繰り返されているのではないでしょうか。

相手を動かす、変えるのではなく、自分が「なぜ片づけてほしい、と思うのだろう」というところに目を向けていくのが大事です。そこからブロックを見ていきます。

潜在意識には、「片づけをしないことが悪い」という概念が眠っている場合があります。なので、自分の「良い」とか「悪い」の概念が、片づけをしないと誰かに何かを言われたり、悪い状況になっている、という思いを無意識に感じて、「綺麗にしないといけない」と思い込んでいるということになります。

思い込んでいることは自分ではなかなか気づけません。だから苦しい、辛い、という状況になっていく人が多いのです。
でも自分が変われば、そういった苦しさ、辛さを自分で解放できます。
たくさんの感情を浄化すれば、相手の価値観が気にならなくなります。自分の価値観と同じように尊重できるようになるのです。

相手を変えようとしても変えられませんが、自分が変わることは意外と簡単にできるんですよね。

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