SNSで見かけた『運命の人とは』という投稿の一部を抜粋してご紹介します。
運命の人とは
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「運命の人、とは、たまたま出会うのではなく、自らの手で扉を開く事で巡り合う存在」
「運命の人は、あなたの魂が準備を整えた時、初めてその姿を現すものだ」
「運命の人との出会いは奇跡ではなく、日々重ねた選択が導く必然の瞬間」
「真の運命の人は、あなたの欠点さえも照らし、その隠れた美しさを教えてくれる人」
「運命の人は、人生のキャンバスに新たな色彩を加える絵筆のような存在」
「運命の人と出会った瞬間、今までの全ての出会いがそのための段階だったと気づく」
「運命の人、とは、見つけた瞬間に確信するのではなく、失った時初めてその存在の大きさをしる」
「運命の人は、どんなに遠く離れても、心の羅針盤が常に示す北極星のような存在」
運命の人とは?出会いと別れの先にある気づき
運命の人の定義は人によって異なるはずです。
私がこれらを読んだとき、どれも本当にその通りだと感じました。
ひとつひとつ解説しようかとも思いましたが、あまりにも的確だったので、あえて書かないことにします。
少しだけ言うなら、「運命の人に会いたい」と思っているうちは、なかなか会えないものだと思います。
「これからの人生をどう生きていこう」と迷っているときや、苦しさに耐えきれなくなっているとき、それでも前を向いて歩もうとしているとき——そんなふうに、自分自身に意識が向き始めたときにこそ、運命の人は現れるのかもしれません。
ただ、それは突然どこかからやってくるのではなく、真の幸せへと進むために現れる存在です。だから、必ずしもそばにいる必要はない、というのが私の考えです。
今世、なぜ生まれてきたのか。その目的は人それぞれ違いますが、共通して言えるのは、「自分自身が輝くこと」。それができたときに出会う人こそが、共に人生を歩む「運命の人」と言えるのかもしれません。
また、離れてみて初めて「運命の人だった」と気づくこともあります。
私には、運命の人と感じる人が男女問わず何人かいました。
全ては魂の学び。その軸はブレることはなく、運命の人も魂の学びのために出会う存在です。
私が運命の人、を定義づけするなら、
「自分の本当の光を自分で知るための大きなきっかけをくれた人」
です。
そして、今まで出会った運命の人たちへ共通している思いは、してもしてもしきれないほどの「感謝」です。