最近、「スピリチュアルジプシー」という言葉が腑に落ちた出来事がありました。どうしてスピリチュアルを学んでも現実が変わらない人がいるのか。改めて、私の視点から書いてみようと思います。
これは正解や真理を押しつけるためではなく、今どこかで「なぜか満たされない」と感じている方の小さな気づきになれば幸いです。
そもそも「スピリチュアル」とは?
スピリチュアルという言葉は、時に誤解されたり、広く使われすぎたりします。
霊的なもの、高次元、目に見えない力…そんなイメージがあるかもしれませんが、本来の意味はもっとシンプルで日常的なものです。
たとえば、私が思うスピリチュアルは、
「自分の本音と繋がること」
「自分という魂と統合して生きること」
つまり、“外側の答え”ではなく、“内側の感覚”を信じて生きることです。
人によって定義はさまざまですが、“スピリチュアル=ふわふわしたもの”ではなく、むしろ自分の内面を見つめる深い作業こそ、スピリチュアルの本質なのではないかと、私は感じています。
スピリチュアルジプシーとは?

スピリチュアルジプシーという言葉は、近年よく聞かれるようになりました。
・高次のメッセージを頼りにして、自分で決断できなくなる
・常に“次の何か”を探して、学びやセッションを転々とする
・結果的に、自分の感覚よりも「誰かの答え」に振り回されてしまう
・自分が欲しい答えをもらうまで、占いやヒーリングなどを受け続ける
これらの状態が続くと、本来のスピリチュアル=自己とのつながりからどんどん遠ざかってしまいます。
以前いらっしゃった元受講生さんの中には、陰暴論や都市伝説の情報を信じて、「怖い」という思いをずっと感じながら生きている、という方もいらっしゃいました。
都市伝説、陰暴論が本当なのかどうかを聞いてこられたこともありました。全て「真実ではない」という答えでしたが、その時「これだけ外の情報の何かを信じていないと不安なんだな」と思ったことを思い出します。
この世代にジプシーが多い背景
私の元に来られたクライアントさんの7割は、40代後半〜50代の女性。
中には、数百万円、数千万円かけてジプシーになっていたという方もいらっしゃいました。なぜその世代に多いのかと考えると、育った時代背景が関係しているように思います。
・戦争体験世代の親からの厳しいしつけ
・「ちゃんとしなさい」「我慢しなさい」と教えられた価値観が根深く残っている
・感情を抑え、社会の型に合わせることが正しいとされてきた時代
そんな中で「自分の本音」を閉じ込め、「生きづらさ」を抱えたまま大人になった人が多いのです。
そして限界を感じたとき、“神様”や“高次の声”など、目に見えない救いを外に探すようになる・・・
これは単なる依存ではなく、魂の叫びでもあり、癒しを求めた必死のプロセスでもあるのです。
誤解を招かないために書きますが、今世の使命として神と繋がり言葉を降ろす、などの役割を持った人もいます。しっかり繋がっている人とそうでない人の違いは、少し話したり文章を見ていると分かるのですが、そこは割愛します。
若い世代の傾向と、見逃されやすいパターン

一方、20代〜30代の若い世代はどうでしょうか?
・自分らしく生きる自由が前提にあり
・情報も豊かでスピリチュアルとの距離も近い
・直感を受け取り、信じ、オープンマインドな人が多い
これらのイメージがあります。でも実は、ここにも別の意味での“逃げる”傾向が見えることがあります。
「めんどくさい」
「ウザい」
などの言葉にまとめて“軽やかにスルー”してしまう人が少なくありません。
でもその「めんどくさい」「ウザい」などの奥には、潜在意識の傷や痛みが眠っていることがほとんどなのです。その場をとりあえずうまくまとめるために軽く流すけれど、本当の自分とは繋がれていない――そんなケースも見受けられます。
潜在意識を飛ばしてスピリチュアルは成り立たない
私が今も変わらず伝えているのは、
「現実は、潜在意識の投影である」ということです。
潜在意識の状態が今見えている状態。それを考えると、潜在意識を先に変えると、思考の枠の外から思ってもいなかったようなギフトがやってくる、そんな感覚なんですよね。
逆を言うと、現実を変えようとして無理やり行動しても、なかなかうまくいかない、とか、願ったこととは逆のことが起こる、という現象が起こる、そんなイメージです。
過去生・インナーチャイルド・ブロック…
それらを癒し、統合していくことで、ようやく自分の内側と繋がる道が開かれていくのではないでしょうか。
感情は、潜在意識からのメッセージ

私たちは日々、誰かとの関わりの中でいろんな感情を味わっています。
嬉しい・楽しいだけではなく、時にはネガティブに感じる感情も湧いてきます。
でも、そうした感情こそが、実は潜在意識に眠っていたブロックのサインかもしれません。
「こういう人、なんか苦手」
「この人の話、聞いていられない」
「なぜかこの人にだけイライラする」
「常に優位に立ちたい」
「ついマウントを取ってしまう」
こんなふうに感じたとき、
それは目の前の誰かが“嫌な人”とか“変な人”なのではなく、あなたの内側にある感情を映し出してくれている存在です。
言い換えれば、嫌だ、とか嫌い、と感じる奥に眠っている潜在意識のブロックを浄化してもいいタイミングが来ているということ。それに気づけるかどうかが、大きな転機になります。
もちろん、無理に変わる必要はありません。「これが私だから」とそのまま生きる選択も、尊重されるべきものです。
でももし、「なぜこう思うんだろう?」と立ち止まり、その感情をきっかけに自分と向き合い始めたとしたら、そこからが、本当の意味で自分と繋がるスタートラインなのだと思います。
“最後の砦”から、目覚めていった人たち
ありがたいことに、「もうジプシーはやめたい」と講座を受けてくださった方の多くが、
自分の内側と向き合い
潜在意識を癒し
自分の感覚を信じる力
を取り戻していかれました。
何年も疑問に思っていた答えを、潜在意識や高次から受け取れるようになったり、自分を本当の意味で認められるようになったり、自分軸で生きるスタートを切り、人生が動き出した方々を目の当たりにしました。
ある受講生さんの「変わりたい」と強く願う気持ちが奇跡を起こした
中でも印象的だったのは、50代の女性で、それまでに車が何台も買えるほどの金額をかけて本を読み漁り、講座を受講してきたにもかかわらず、「何をしても変われなかった」とおっしゃっていた方です。
その方は、講座を受講される中で、何度かマインドブロックを外しただけで、まるで別人のように変化されました。
最初にいただいたご相談は、「1人で外出するのが怖い」「人の視線が気になってしまう」「1人でお店に入ってお茶や食事をすることができない」といったものでした。
受講前には「ここで変われなければ、もう諦めます。でも変わりたいんです!」とおっしゃっていたのが印象的です。
それに対して私が「変われますよ」と潜在意識と繋がってお伝えしたところ、「じゃあそれを信じて清水の舞台から飛び降りる気持ちでやります!」とお返事され、覚悟を決めて受講をスタートされました。
変化①
講座が2か月目に入った頃、その方の「憑き物が剥がれたような感覚」を感じ、その方ご本人も「私から龍が出てきたんですよ〜!」とおっしゃって、本当に生まれ変わったように、1人でどこへでも行けるようになり、自信がみなぎっていて、人生を楽しめるようにまで変化されました。
zoomでの講座なのですが、初めの頃はスマホから遠いところに自信なさげに座っていました。でも変化の後は、スマホから顔がはみだすほど近いところで受講され、「顔近いよ!笑」と言うと、「だってもう怖いものないって感じなんだもん!笑」と楽し気に最後まで受けられたことがとても印象的です。
変化②
もう1つ、その方のご主人はお酒が好きなのですが、自分は飲めない。だから一緒に晩酌付き合ってあげたい、ということをポロっとお話されたことがありました。
そこで、ブロックを外せば飲めるようになるよ、とお伝えしてブロックを外した直後、「飲んでみようかな~」とおっしゃり、2人で画面越しにその方はサワーを、私は日本酒を飲んでみると、「え!飲めるし美味しいかも!すごっ!!」と驚いていたのも私にとっても嬉しい変化でした。
一緒に晩酌してあげたいけどお酒飲めない、というご相談から30分後には潜在意識が変わり、「美味しい」と感じられたという面白い変化でした。
覚悟を決めて、学んで、自分と向き合う時間はその時は楽ではないけれど、本当に魂が望んでいる道を歩き出すプロセスでもあります。それはいつも、「自分と繋がること」から始まっています。
↓こちらの元受講生の変化も是非!


私の役割は

私は普段、セッションや講座の中で、少し厳しいと感じられたり、嫌だ、と思うようなことをお伝えすることがあります。その言葉は、私自身の考えや判断から出ているものではなく、その方の魂が「そろそろ気づかせて」と私に伝えてきた声を受け取って届けているだけなのです。
私の役割は、誰かを変えることではなく、その方が“本当の自分”に気づくきっかけを渡すことなので、私の言葉に怒りを感じる人も中にはいらっしゃいます。
ただそれは、なぜ怒りの感情が出ているのか、の理由まで説明できるからであり、ただ怒らせようとして言っているのではない、ということです。だって、私がその人を怒らせても私には何のメリットもなく、私からするとそんな役割したくない、という思いもありますから…
言われた何かに対して怒っているということは、その人にとっての何かの「核」に触れられているから、ですよね。その怒りがなぜ出ているのか、それは魂が怒りの原因となっている奥深くに眠る潜在意識を浄化してほしい、というサインです。
もし痛いところを突かれた、と思うことを私が言ったなら、その時目の前にいる人の魂の声を代弁している、ということになります。誰かに言われないと自分の心の傷に触れられないからであり、そこに気づいて癒されるためのタイミングだ、ということです。
悪役を買って出る、という言葉もありますが、冥王星のような働きをさせていただいている、という感じですね。

「傷ついた」ではなく、「気づきを得る」と決めたらもう大丈夫
私の言葉で、「今までもこういうことあったな」と気づく人も多いでしょう。そういう人の方が圧倒的に多いのですが、中には「価値観の違い」と片づけてしまう人も一部います。
そういう時に潜在意識では、「価値観の違い」という休憩所のような隠れ家を作っていて、それを理由にして「うまくいかないことが続いていることに気づいていただく」ためにも、核心に触れるようなことを伝えさせられることもあるのです。
それが結果的に、その人が「傷つく」という言葉なのかもしれません。それを「ひどい」と誰かを責めて済ませるのか、「なんで今傷ついているのか」と自分に目を向けるのかで進む方向は変わります。
どういう選択をしてもその方の自由ですし、どちらを選んでも、その人にとってのタイミングや学びがあるのだと思います。
どんな選択をしてもその人の人生
もしなにかの気づきを受け取り「覚悟」を決めたとき、その瞬間から、人は自分の魂に沿った道を生きていくようになります。
私が見てきた多くの方は、そこから人生を本当に変えていきました。
だから私は、これからも潜在意識と繋がり、その人の魂の声を受け取りながら、必要なタイミングで言葉を届けていくのだと思っています。
いつも誰かと接しながら生きていると思いますが、もし自分を不愉快にさせる人が周りにいた時、その人をどう感じるか?「嫌な人だから関わるのをやめよう」と思うのか、「どうして私はこの人を嫌、と感じるのか」と思うのか、この二択の違いが分かりますか?
現実は潜在意識の投影、不愉快にさせる人は自分に何を伝えようとしてくれているのか、と捉えられたら、大きく光が差し込む準備が整ったサインかもしれません。
おわりに

「潜在意識なんて難しい」
「風の時代だからもっと軽く、楽にいこう」
そんな声もあります。
でも私は、風の時代だからこそ、内側の風通しを良くしておくことが、ますます大事になってくると感じています。
スピリチュアルは誰かの“正解”ではなく、誰かに与えられるものでもなく、自分と丁寧に繋がることで自然と見えてくるもの。
この文章が、どこかで誰かの“立ち止まるきっかけ”になったら嬉しいです。
あなたのスピリチュアルは、あなた自身の中にあります。