2025年4月22日、この2日前に受け取ったメッセージを基に、福島県にある五色沼に向かいました。魂の深い部分とつながる“扉”を開くことになっていたんだな、というのが後に分かる旅になりました。
五色沼を訪れることになった理由は、よく分からないけれど、はっきりと「五色沼」とドーンと言葉が浮かんできたからです。
私は福島県出身で、子供の頃に1度だけ行ったことはあるけれどなにも覚えていなかったので、今回、初めて自分の足で向かう旅となりました。
毘沙門沼

この日は晴天で風もなく、なぜこの日と言われたのかがこの時点で分かったような気分で歩き始めました。毘沙門沼は深い青さが癒しに繋がり、呼ばれたのは毘沙門沼だったのかな…、と思っていました。
青一色でも色んな表わし方がありますが、エメラルドブルー?グリーン?というのでしょうか??場所によっても違う色なんですよね。とても不思議です。


ここから先、たくさんの沼があるのですね。小学生の頃に修学旅行に来た事実はあるものの、やっぱり何一つ記憶に残っておらず、初めましての感覚でした。癒されていないインナーチャイルドがたくさんいるんです。小中学校の頃は、学校生活が本当に地獄と感じていたので、修学旅行を楽しみと思ったことは多分1回もなかったと思います。


深いところは50センチくらいの雪が残っていましたが、この雪の上を歩く感覚は幼少期のインナーチャイルドの癒しになりました。雪道を長時間歩くのは久しぶりでしたが、子供の頃の雪深い環境のなか、歩いて学校に行っていた記憶、それが楽しいものとなって蘇ってきました。
滑りはしても転ばなかったのは、何十年経っても、脳細胞が雪道の歩き方を覚えているからだな、と感じました。

みどろ沼
毘沙門沼の青さとは対照の黄緑、黄色のみどろ沼です。この色も「なぜこういう色になるのか…」と不思議な感覚を感じます。決して汚れてる、とかではないんですよね。

弁天沼はレムリア
スタート地点の毘沙門沼から約1時間半ほど歩いたでしょうか。この色が見えた時、「はっ」とし、松果体が開いた感覚のあと、「レムリア」という言葉が飛び込んできました。
「ここに来るための今回の旅だったのか」と、ここに呼ばれた意味とこの色から感じるレムリアの記憶が一致した感覚に、しばらく動けなくなりました。



ベンチで30分以上はぼーっとしていたと思います。
観光客がほとんどいなかったため、レムリア時代に飛ぼうと思ったのですが、「そこまでは今する必要ない」「ただ感じなさい」というメッセージを受け取り、視界から、聴覚から、嗅覚から、第6感から、ただ感じることを続けました。
この色、スカイブルーという人もいるでしょう。「レムリアブルー」と来た時、今までに何度か過去生を浄化するときに見たレムリア時代の水の青と一致していた、ということに気づきました。またそのうちレムリアを辿る時にこの色を思い出すことになるのだろうと思います。
るり沼(多分)
定かではないのですが・・・多分るり沼だと思います。雪解けの水が沼に流れ込んでいます。ほかにも滝のように水が流れ落ちる場所もありました。こんなに水は真っ白(透明)に見えても、沼に辿り着くといくつもの色として現れるんですよね。
私の好奇心をくすぐったこの場所でも少しの間眺めて、感じていました。
流れる水の匂いは、懐かしい、生まれ育った場所の匂いでした。匂いと書きましたが、匂いはありません。実家では今も地中深くからの井戸水なので、その感覚と同じ、ということです。
青沼
青沼は、優しい青さを感じました。強調はしていないけれど存在感はあり、深くはないけどちゃんと入ってきた、という表現になりますね。弁天沼の後のこの青沼で「そのままで良い」という言葉をここで受け取りました。

柳沼
柳沼が、休憩所までの最後の沼になります。毘沙門沼を過ぎた辺りに案内板があり、「柳沼まであと2700メートル」などと見て、この雪道を何キロも歩くのか・・・とげんなりしていたのですが、雪道を歩く楽しさと弁天沼の美しさで疲れが一気に飛びました。3キロ以上歩いたとは思えない爽快感をここでは感じることができました。
この柳沼は、五色沼のそれぞれの沼たちから受けた感覚、感動を整理してくれるような静寂さを感じます。

散策ルートはいくつかあるようで、バス停でいうと「五色沼入口」から私は入りました。逆のルートだと少し下りになります。
弁天沼の位置、そこまでの流れなど、今回は全てが完璧だったな、と遊歩道を歩き終わった後に思いました。
福島のソウルフード

喜多方ラーメンですね。
弁天沼以降の約30分は、これが食べられる休憩所を目指してひたすら雪道を歩きました。
ちぢれ麺が、さっぱりしょうゆベースのスープに絡まり、懐かしい味でした。山塩ラーメンというメニューもありましたが、私は昔から知っている味を選び、一気に完食でした。大盛りでも良かったかもしれません。
実家近くもラーメン激戦区で、最寄り駅にはラーメン屋さんがたくさんあります。自分へのお土産として喜多方ラーメンはよく買っています。
檜原湖
休憩所から徒歩数分のところには、大きな檜原湖を見ることが出来ます。

↓松の木の下には松ぼっくりがたくさん落ちていました。ここでもインナーチャイルドを1つ思い出し、ベンチに座って松ぼっくりを触りながら、小学校低学年の頃にあった出来事が思い出され、そこで感じていた悔しい思いや悲しい感情などを癒しました。


バスで猪苗代駅に向かいます。女性の運転手さんの約30分の安全運転で910円でした。ちなみに猪苗代駅から五色沼入口までは790円(だったと思います)です。
支払いは現金かクレカ、QR決済が可能、と言っていた気がします。
会津磐梯山
猪苗代駅からみた磐梯山。スキー場も見えますが、今年は珍しく雪が多かったので、5月中旬頃までは楽しめそう、とタクシーの運転手さんが教えてくれました。スキーをしに、外国からの観光客がとても多いとも言っていました。

↓バスの車窓からの磐梯山

会津磐梯山という民謡があります。実家の地域の夏祭りの盆踊りでは会津磐梯山の曲に合わせて踊ります。子供の頃からよく聞いていた民謡を思い出し、歌詞を調べてみました。意味はよく分からない、が正直なところですが、「会津磐梯山は宝の山ヨ」という一節があります。ここに目が止まりました。
実際に宝があった、ということではないようですが、宝の山、それは目に見えない宝のような気がします。自然の豊かさといったところでしょうか。冬は寒く、とても厳しい環境ではありますが、「宝の山」と表現した昔に生きた人は何かを感じたわけで…。私も宝の山だな、と感じました。
レムリアからのメッセージ
弁天沼で感じたレムリアの色、きっとあったんだ、という確信に近い感覚を得て、私は何をしに行ったのかはよく分からなかった、けれど呼ばれたことも事実で。
見ながら感じて、ただそれだけ、の時間が今の私には贅沢にも感じるけれど、その後の「そのままで良い」のメッセージ。だから、これで良いんだ、とまた進めます。
「何かをしなければならない、を手放して良い」、というのが今回改めて受け取った重要なメッセージでした。女性性を癒す旅とも言えました。インナーチャイルドをいくつかここで癒せたのですが、それを男性性か女性性かと見るなら、女性性側だったことも腑に落ちます。
「ただ受け取るだけ」で良い、ということです。
レムリアの記憶
私が「レムリア」という言葉を今世一番初めに聞いたのは、5年前の2020年初めの頃、オラクルカードの講師をしていた時に受講生で来られた、私とはツインソウルの女性が宇宙から受け取ったメッセージを伝えてくれた時でした。
「あなたはレムリアの叡智を…」「クリスタルに刻まれたレムリアの叡智をあなたは読める」「そのクリスタルにいづれ出会う」と言われたのを思い出します。
その時は、「ふ~ん」としか思わなかったのですが、私と彼女はレムリアに生きていた時、水辺で神官?か何かを守る役割をしていた、と説明してくれている時に私も映像が浮かんだのを覚えています。そこで「一緒にいたね!」と言ったことも覚えています。その時見えていた色が、弁天沼の色そのものだった、と今思い出しました。
五色沼に行け、というサインの前に「恐山」と来ていたのですが、同時に「今じゃない」とも。
五色沼から帰ってきてから青森出身の八百屋の良子さんにそれを話すと、「恐山、あなたは行くと良いよ」と。先日亡くなられた良子さんのお父さんが呼んでる気もするよね、と話していました。
初めて恐山を調べてみると、5月1日以降じゃないと開いていないことが分かりました。だから「今じゃない」だったのね、と 笑