箱根に引っ越してすぐの頃、やっと見つけた最寄りの八百屋で「Rさん」と出会った。
はじめて会ったのに、なぜかとても懐かしい感じがした。
自然と話し込むうちに、気づけばRさんのお父さんと魂で繋がっていた。
そのとき、入院中で話せなくなっていたお父さんの想いがあふれてきて、Rさんに伝えるうちに2人で号泣していた。
声は出せなくても、お父さんはずっとRさんに語りかけていた。
その愛の深さに触れた瞬間、2人とも涙が止まらなくなったのを覚えている。
それから約1年――
一昨日、Rさんのお父さんは旅立った。
「間に合わなかったんだけど・・・」とRさんは涙声で話してくれた。
「旅だった時間がね、10時39分だったの。40分じゃなくて」と。
でもすぐに、「40分じゃなくて39分でよかった」
とすぐにRさんは受け取れた。
お父さんは青森の人で、シャイな性格。
「ありがとう」じゃなくて、よく「サンキュ」と言っていたそうだ。
だから、「39分」=「サンキュ」で旅立ったお父さんの愛のメッセージに、涙が止まらなくなった。
この約1年、声にはできなかったけど、最後に数字で「ありがとう」を伝えてくれた。
旅立つ前日、Rさんは病院でどうしても聞きたかったことを聞いてみた。
「お父さん、私たちのこと、みんなのこと好き?」と。すると、ずっと反応できなかったお父さんがうなずいたそう。
それが最後のお父さんとのふれあいになった。
Rさんと話していると、お父さんからRさんへのメッセージが届いた。
「これからは自分の幸せのために生きて」
穏やかに微笑むお父さんの姿が見えた。
とにかくRさんを誇りに思っている。
「自慢の娘だよ」と何度も言ってきた。
帰り道、3台の車が立て続けに「2525」のナンバーで通り過ぎた。
「ニコニコ」
そのときはRさんへのメッセージだと思った。
そうか、お父さんはRさんだけじゃなくて、私にも伝えてくれていたんだな…。
私もRさんも、お父さんのメッセージを受け取って涙が止まらない時間を過ごしたから、「もう泣かないで、笑って!」と伝えるために「2525=ニコニコ」を見せてくれたんだろうな、と思う。
泣いたあとに数字で「笑顔」を贈るなんて、もうそれだけでお父さんらしい。
シャイで言葉にはしないけれど、数字でそっと想いを届ける――
そんな愛のカタチが、なんとも粋なことをしてくださる。
あの日、Rさんと出会わなければ、お父さんとは繋がることはなかったかもしれない。
でも、偶然のようで必然だったご縁。
私が箱根に引っ越した翌日がお父さんの誕生日だった。
私を箱根に呼んでくれたうちの1人がRさんのお父さんでもあったようだ。
私はRさんのお父さんの深い愛に触れ、そして「サンキュ」と「ニコニコ」を受け取った。
最後の最後まで愛を届けてくれたお父さん。
満開の桜に見送られて旅立ったお父さん。
サンキュ!

